【行ってきました】寺町界隈を散策し、焼き餅を楽しむ。

徳島市/寺町/滝のやき餅/和田乃屋/大滝山

徳島市中心部のランドマーク・眉山のふもとに広がる『寺町』。

大きな地図で見る 『寺町』は徳島県物産協会「あるでよ徳島」のすぐ近く、歩いて1分ほどのところにあります。静かな雰囲気を楽しめる同エリアは、観光スポットとしても知られています。 徳島市の説明によると、 天正13年(1585)に阿波に入国した蜂須賀家政が、城下町の建設にあたり寺院を集めて作った町。有名人の墓も多く、主なものは、ポルトガル人モラエス(潮音寺)、名妓夕霧(本行寺)などがあげられます。また、春の桜の時期にお花見客で賑わう大滝山の登山口には、名物の滝の焼餅屋が並んでいます。 とのこと。 ゆっくり歩いても2時間ほどのエリアなので、徳島市街地の気軽な散策コースとしておすすめです。また、一歩はいれば木々が生い茂る静かで心落ち着く、意外と知られていないスポットもあります。

今回の「行ってきました」では、寺町を歩きつつ、「滝の焼き餅」で知られる和田乃屋さんのやき餅に舌鼓を打ってきました。

徳島市/眉山/阿波おどり会館

※ 「あるでよ徳島」がある阿波おどり会館の前。ここから歩きます。

寺町界隈にはおよそ26の神社・お寺があります。

阿波おどり会館を出てまず目に入るのは会館すぐ北側の道路沿いにある潮音寺。阿波おどり会館の地下駐車場に行く途中にあります。道路を眉山方面に進み、左手に会館、右手に潮音寺となっているのでわかりやすいです。

徳島市/眉山/潮音寺/モラエス

※ 阿波おどり会館のすぐ隣にある潮音寺。モラエスのお墓があります。

この潮音寺にはポルトガルの首都リスボン出身の文人・モラエス(ヴェンセスラウ・ジュゼ・ジ・ソウザ・ジ・モライシュ:Wenceslau José de Sousa de Moraes)のお墓があります。初来日は1889年(明治22年)で、この時はポルトガルの軍人として日本を訪れました。

モラエスがポルトガルの外交官として、大阪・神戸を管轄するポルトガルの領事館に副領事として勤めていたころ、神戸で出会った徳島出身の芸者おヨネに惹かれ結婚。1912年におヨネが死没したことで、当時務めていた総領事職を失意のうちに辞職(1913年)。辞職後は、おヨネの故郷でもある徳島に移り住み、徳島市伊賀町の長屋に居を構えます。おヨネの姪・斎藤コハルが同居し、モラエスのお世話をしていましたが、4年後にそのコハルも亡くなってしまい、モラエスは徳島の地で孤独の身となってしまいます。 モラエスについてはまた別の機会に「モラエス通り」等とともに取り上げますが・・・。

100年も前に「日本」に魅せられた一人のポルトガル人が、徳島の地で誰にも見とられることなくその人生を終えました。その後の大戦もあり、モラエス、ヨネ、コハルの墓は何度か移転することとなりましたが、現在では阿波おどり会館隣の潮音寺にあります。

さて、ここから寺町の中心部へと歩を進めます。

徳島市/眉山/潮音寺/れもん

※ 阿波おどり会館のすぐ前にある道。寺町方面に延びている。

上の写真のれもん右側の道をまっすぐ行くと突き当りにあるのが長善寺です。

長善寺の西側にあるのが善学寺。善学寺の南側には、妙典寺、本覚寺、潮音寺の順に並んでいます。潮音寺は先ほども紹介したモラエスのお墓があるところです。善学寺を正面にして右に進むと、道路の左手には白壁が続き、さらに奥へと歩みを進められます。 この善学寺から北に延びる道の先はまた突き当りとなっており、その間には左手に妙永寺と本行寺、右手には浄智寺、突き当りには白壁のまぶしい般若院があります。 般若院から眉山側を見るとさらにお寺などがあり。・・・寺だらけです。

左手は本行寺、右手には東宗院と源久寺。・・・と見ていくと、左手にはなにやら小屋のようなものが。

徳島市/眉山/錦竜水

※ 小屋のようなものが・・・。

そう、ここが徳島の名水として昔から有名な『錦竜水(きんりょうすい)』の水汲み場です。

徳島県観光協会が運営する観光サイト「阿波ナビ」によると 錦竜水は、阿波藩主をはじめ地域住民の飲料水として古くから重宝がられたが、昭和51年ごろ水脈が途絶えた。その後、「名水阿波錦竜水保存会」により復旧工事がなされ、11年ぶり(昭和62年8月)によみがえった。 硬度が高くミネラル分に富み、カルシウムイオンやマグネシウムイオンなどを多く含むのが特徴で、「コクとまろやかさのある水」と名水の折り紙付きである。

ということで、現在でも水汲みに訪れる人がいる、現役の水汲み場です。 (生水は飲まないでください)

徳島市/眉山/錦竜水

※ 錦竜水の水汲み場。

この錦竜水の水汲み場を過ぎて、突き当りの春日会館を右に曲がると、左手には春日神社、右手には願成寺と善福寺。

徳島市/眉山/春日大社

※ 奈良・春日大社の分社。名水『春日水(かすがすい)』でも知られています。

この春日神社を越えてすぐ左手には滝薬師があり、目的地はその滝薬師の境内にあります。

徳島市/眉山/滝薬師 ※ 夏の滝薬師前

この滝薬師のすぐ横には大滝山につながる道があります。その道の途中に、すごく味のある良い雰囲気の建物が。

徳島市/眉山/滝薬師

※ 「滝の焼き餅」で知られる和田乃屋の本館下棟 その1 徳島市/眉山/滝薬師

※ 「滝の焼き餅」で知られる和田乃屋の本館下棟 その2

すごく雰囲気のあるこの建物。国の登録有形文化財に指定されています。

登録されたのは2011年1月。昭和中期に建てられた木造建築の2階建てで、瓦葺の屋根になっています。1階は土間で、焼き場や販売所が設けられていたとのこと。 パッと見ですが、「千と千尋の神隠し」にでてくる湯屋のような外観。筆者個人としては、「春先、浴衣を着て2階にある座敷から桜を見ながらお酒を飲みたい!」という気持ちが自然と沸き起こります。そういう憧れを抱かせてくれるのが、この下棟に感じる魅力です。

さて、その下棟の先には、目的地の和田乃屋本店が見えてきます。

徳島市/眉山/滝薬師

※ 滝薬師横、大滝山に延びる道と和田乃屋さんの入口が見える。

さて、滝の焼き餅とは?という疑問もあると思いますので、ここでご紹介。

和田乃屋公式サイトによると、 滝の焼餅は、天正十三年、蜂須賀蓬庵家政公が阿波二十五万石の国主として徳島城を築き、その祝いに献上嘉納されました。幸にして藩主御愛用の錦竜水の使用を許され、藩主の御用菓子として名声を博しました。 とのこと。 天正13年といえば1585年で、430年ほど前。豊臣秀吉が関白になった年ですが、その当時から、先にも登場した錦竜水を用いた焼き餅が、この地で作られていたわけです。

和田乃屋では今でも錦竜水を使って小豆あんを炊き上げており、さっぱりとした味わいに仕上げるのにかかせないのだとか。

徳島市/眉山/滝薬師

※ 焼き餅。プレーンと抹茶。最近は「黒ごま」も作っています。

ではここで、焼き餅づくりの一連の流れを見てみましょう。

まずは皮。粳米(うるちまい)と糯米(もちまい)を石臼で挽いて、天日で乾燥させたもので作ります。その皮で、先ほど出てきた小豆あんを包んでボール状にし、熱した鉄板の上に手で広げます。

徳島市/眉山/滝の焼き餅・和田乃屋(和田の屋)

※ 写真では抹茶味のやき餅を製造中。すべて手作業。

徳島市/眉山/滝の焼き餅・和田乃屋(和田の屋)

※ 鉄板の上のおだんごを手のひらで伸ばします。

徳島市/眉山/滝の焼き餅・和田乃屋(和田の屋)

※ 鉄板の上に広がったお餅。

徳島市/眉山/滝の焼き餅・和田乃屋(和田の屋)

※ 手でのばしたお餅の表面に型を押していきます。

徳島市/眉山/滝の焼き餅・和田乃屋(和田の屋)

※ キレイな菊の模様に。このまま表面も焼いて出来上がりです!

この菊のマークの型は、当然ながら消耗品のため、寿命がきたら交換するそうです。

さて、出来上がった焼き餅ですが、当然ここ和田乃屋本店の店内で食べることができます。

徳島市/眉山/滝の焼き餅・和田乃屋(和田の屋)

※ この日は冷抹茶と焼き餅のセット。他の組み合わせも有ります。

店内からはお店の庭が見えます。11月になると、ここからモラエスが植えたとされ、現在では「モラエスの花」と呼ばれている黄色亜麻が眼前一面に広がる光景を楽しめます。「黄色亜麻が咲く季節」を楽しみに訪れる人もいるそうです。

徳島市/眉山/滝の焼き餅・和田乃屋(和田の屋)

※ こちらが「モラエスの花」と呼ばれている黄色亜麻。

徳島市/眉山/滝の焼き餅・和田乃屋(和田の屋)

※ 和田乃屋さんの2階スペース。会議などもできます。

水の流れる音を聞きながら、焼き餅を楽しむ。贅沢な時間です。

お店の中には黄色亜麻の写真や、和田乃屋本店がある大滝山の昔の地図などもあります。和田乃屋本店の裏にある面白いスポットの話と相まって、和田乃屋本店訪問の際はその話で盛り上がりました。

徳島市内の人でも知らない人が結構いる大滝山の”緑道”は、暑い夏なら避暑もできる散策コース。なぜかはわかりませんが、30近い石碑がこの周辺にあります。

徳島市/眉山/滝の焼き餅・和田乃屋(和田の屋)/大滝山

※ 和田乃屋さんの横にある階段を上った先の光景。

徳島市/眉山/滝の焼き餅・和田乃屋(和田の屋)/大滝山

※ 大滝山・山頂に延びる階段

徳島市内の散策に、大滝山まで足をのばしてみませんか?